女子大生の出力箱

日々のアウトプット

バックオフィスの女

続かないことに定評がある女です。こんにちは。

最近は卒論と簿記検定がんばらなと思いながら、梅雨でメンタルが死んでます。

 

そう、梅雨です。7月です。

そろそろ後輩たちが就活はじめてる時期なんです。時の流れってこわいですね。

そんな中もう就活してない20卒の人間なのでアウトプットできることあるんかな〜って考えたんですね。

 

そうだ、仕事だ!

 

結局就活イヤイヤ人間になった私はインターン先に落ち着くことになりました。

バックオフィスなんでもござれ人間として。

一応経理メインの筈なんですが、総務もやるし労務もやるしどーんとこい!

ちなみに創業間もないので先輩がいるわけではない。

……ワシ、詰んでない?

 

仕組みづくりはとても楽しいしワクワクする。

でも管理部門なんてどの会社にもあって、ある程度最適化された型があるはず。

車輪の再発明をしていて良いんだろうか。

それによく考えて欲しい。私はここが社会に出て初めての会社なのだ!

 

「中小企業で管理部門の全体がわかる人ほしいですね」と話は上がるけれど、

そこまで手が回らない。てかそんなすごい人が手伝ってくれるの……?

来てくれたら泣いて感謝する。

でもとりあえずいま現実的にできることってなんだろう。

そう考えて、ブログで発信していきながら、いろんな人にコメントでツッコミもらえたら嬉しいなあと思ったんです。

そうやって直して運用して直してって繰り返していけばちょっとは良くならないかなあ。

身バレしない程度にやんわりしながら運用していきたいですね。

 

(あと転職する場合に、SNSつながりで…とか邪な考えもあるのですが、現実的なんでしょうか…)

 

余談ですが、大学卒業したらブログ名もちゃんと変えるつもりですよ!

仕事始めと電車

 昨日は仕事始めだった。まだまだ休みの人も多いのであろう、電車や街を歩く人は少なかった。職場の仕事納めは早かったけれど、まだまだのんびりしている人がいると思うと少し羨ましい。電車通学を始めた高校生の頃から、そういう羨ましさは知っている。

 同じ時間、同じ車両に乗って、目的地を目指す。素早く乗り換えるために、いつも使う駅の階段の位置は覚えた。そして慣れてくると、段々位置が定まってくるのだ。あのお姉さんは次の駅で降りるぞ、あのおじさんは私と同じ駅で降りるぞ。この人は私があの駅で降りると覚えたな。勝手に顔なじみな気分になって、少し憂鬱な電車もちょっと楽しくなった。今でも印象に残っているのは、座る自分の前に立つおじさんのネクタイがピーターラビットの柄だったこと。奥さんの趣味かな、娘さんにもらったのかな、とか余計なことをつい考えてしまった。可愛い。

 でもそれは毎日時間を決めて電車に乗っていれば、の話。大学生になった今では、自由な時間に電車に乗っている。2限なら大体この時間に乗れば間に合うぞ、とか。今日は5限だけでいいから寝てよう、とか。毎朝せかせかしていたのも悪くはなかったけれど、やっぱり今の方が気が楽だ。ガラガラの電車に腰掛けて、流れる車窓の景色を眺める。去りゆく自分の住む街を、見慣れない角度から覗くのは不思議な気分だ。乗降ドアの窓から差し込んだ光が、自分の顔に刺さる。眩しさと陽の暖かさに目を細めると、浮かぶ塵がキラキラと反射するのがよく見えた。人気のないホームへ降り、無人のままぐるぐると回るエスカレーターへ飛び乗れば、学校まではあと少し。

 社会人になればまた、高校生の頃みたいに時間に縛られてしまうのかと残念に思うようになった。ちょっとした顔なじみ感や日々の気づきはたしかに面白かった。しかしそれ以上に人が詰まった電車は息苦しかった。降りても後ろに続く人々の足音に急かされながら歩く。たまに背伸びをしてヒールを履いた日なんかは悲惨だ。綺麗に歩くためには狭い歩幅が重要なのだけれど、駅をスルスルと抜けるためにハクセキレイみたいな歩き方になってしまう。

 ここで私自身の就活の話をしたい。また別の記事にまとめたいとは思っているが、ざっくり言うとインターン先から内定を頂いたので、卒業後にそのまま就職することとなった。そして、なんとその会社はフレックス制を採用している。つまりいつ出社しても、規定時間働いていればオッケーということだ。となると私は今まで通り、ゆったりとした時間に電車へ乗っても良いのである。正直なところ、とても嬉しい。残り少ない大学生活を前に、将来への不安が心に雲をかけていたが、ゆっくりと風に吹かれた雲の隙間から光が少し差し込んだ気がした。他にも色々と思うことは多々あるから、少しずつ吐き出していきたい。ただどの記事でも、自分の思いを忘れないようにしたい。たったひとつだけだ。「自分と他人は比べるものでない」比べてしまえば永遠に沼に沈んだまま、満たされない思いを渇望することになるだろうから。

 

***

インターン先から内定もらったよ!というだけのお話と思ってください。結局それらしい就活はほぼしてないかも。使ったサイトの振り返りでもしようかと考えたけれど、もう思い出したくないというのが本音。

 

私が思う、SNSとの付き合い方

 今日もまた、何もない一日を過ごした。一般的にお正月とはいうけれど、帰省もなければ出かける気もない私にとってはただの休日に過ぎなかった。勝手に人間が定めた暦なのに、ただ月を跨ぐだけではこんなに祝わないのに。心の中で悪態をついてみるが、節目をきちんと楽しんでいる人たちの方が、彩りに溢れた人生を送っているのは明白で、味気ない自分からはとても眩しく見えた。

 違う世界はすぐそばにある。それを実感したのは、普段使っているSNSだ。深淵には自分も覗き込まれてしまうけれど、SNSではいくらでも一方的に他人の日常を覗き込むことができた。友人と過ごしたり、旅をしたり、買い物へ赴いたり。そんな他人の行楽は年末年始に限らず、一年中いつでも流れてきた。勿論自分だって同じことはする。友人と遊びに行ったり、恋人と旅行をしたり。そしてその様子をSNSに投稿したり。それでも毎日のようにスクロールされる他人の幸福は、どこまでも羨ましくみえた。そして部屋着でそれを眺めている自分と比べては、どこか悲しい気持ちにさせられた。例えるなら、中毒性の高い薬だった。いっそ毒とも言えるほど多量の情報を摂取して、拡がった自分の埋まらない虚無感をその薬で塞ごうとする。結局いつまでも気持ちは満たされないままだった。

 このループから抜け出したのは、自分と他人を割り切って考えることができるようになってからだった。もしかしたらそう錯覚しているだけかもしれないけれど、少なくとも昔よりは精神面でも安定するようになった。割り切って考えるのは意外と難しい。自分には自分の事情やバックグラウンドがあり、他人にもそれぞれの背景がある。自分が生まれてから今に至るまでの人生が、彼らにもあるのだ。当然と言えば当然だ。でもそれはなんだか不思議なことだった。それまでは街中にいる人に対して、その街をつくる背景セットに過ぎないイメージを持っていたのだが、ひとりひとりが背負う人生に気づいてからは、彼らが自分の中で生きた存在と認められるようになったのだ。ゲームみたいに決められた反応しかしない、舞台を構成する通行人Aではなく、喜怒哀楽のある人間だと。

 そうして私の心の中でくすぶっていた他人への憧憬に、ようやくけじめをつけられるようになった。他人のSNSはその背景を切り取ったものなのだ。わざわざSNSで覗きこまなくても、彼らが元から持っている経験の一部なのだ。今それを覗いている自分はパジャマのまま布団で寝っ転がっていて、比べたら惨めな気持ちになるかもしれないけれど、自分にだって他人を魅せる人生の瞬間はある。友人や恋人と出かけるだけじゃない、美味しいものを食べたり、くじ引きの結果が良かったり。逆に言えば、キラキラして見える彼らにだって、今の自分みたいな瞬間があるかもしれない。

 全ては切り取り方の問題なのだと思う。それで一喜一憂していたら身が保たない。SNSは他人の日常を覗き込むものじゃなかった。意図的に切り取られた一瞬を覗きこむツールだった。そしてそれは日常じゃなく、非日常ではないだろうか。

 

***

 

別人かってくらい今までの記事と雰囲気が違うのはわかります。ほんとはエッセイにして小説投稿サイトに投げようかと思ってた文章なので……。結局恥ずかしくなって、はてなへ戻ってきました。

2019年を迎えましたが、今年もよろしくお願いします。就活については後日。

 

 

継続って、むずかしい

最後に書いた記事がこれなんですけど、これを境に投稿が途絶えたのって死んだのかな?って気持ちになりますね。生きています。

yun-maru.hatenablog.com

連日の酷暑を生き抜くのに必死でブログどころじゃありませんでした。

加えてテスト期間にゼミのワーク、インターンの選考やらでたくさんのことが後回しに。

なにげない内容でも毎日更新してる人は本当にすごいなあ。尊敬。

 

飽きっぽいので続けられる趣味を見つけたいなあ。とは思うものの、なんやかんやで途絶えるとそれっきり。

結局20年くらい生きてきて変わらず続けていられることは、

  • 朝昼晩3食のご飯
  • 適度な睡眠
  • 毎晩のお風呂

しかないんですよね。

むしろ人生もうこれだけで良くない?幸せかよ。

 

でもまあテストがひと段落ついたのでちまちま再開しようと思います。

インターンも選考結果が出るまで暇なので……。

今までたくさん(当社比)参加してきたセミナー類は何個かキャンセルしました。疲れたよパトラッシュ。ディズニーのパレードに宗教じみたものを感じる人間には合わない。無理。

 

とりあえずいま興味あることを忘れないようにメモ。夏休みは遊び以外も充実させたいなあ。

  1. 英語(論文が読めない!スターウォーズを英語字幕で観たい!)
  2. ブロックチェーン(今更感がすごい)
  3. シャイニング(ホラー映画と原作の文庫本)
  4. 純粋にホラー映画を観たい(ホラー好きな友達がいない)
  5. R(普段から使ってるけどゼミのためにも勉強しなくちゃ……)
  6. メルカリ(いまハマってるんだけど楽しい、法に触れない範囲で)

結局どうしたいの?

すごく虚無感に襲われる瞬間、ありませんか? 正にいまの私です。

だいたい就活のせいなんですけどね。

結局私はどうしたいんだろう、わからなくなって虚無虚無プリン状態。 

 

これまでそれなりに様々なイベントに足を運んできました。こうした方が良い、ああした方が良い。と言われるなかで、多くの就職支援サービスが言う理想的な就活って次に収束するのだと思いました。

  1. 自分の(企業に対する)希望と、企業の(学生に対する)希望が重なる
  2. 自分がなりたい姿のために必要なスキルを得られる企業へ行く

実際、理想的だと思います。この考え方ならわざわざ自分を着飾る必要がないはずだから。

そうして感化されるうちに、私にもやりたいことが芽生えました。効率性の邪魔をする要因を取り除いて社会の経済厚生を最大化させたい!っていう。

意識が高い。

でも、それは本当に思っていることなのだろうか? 無理やり思い込もうとしてない?高校の志望理由は自分に思い込ませて乗り切ったという前科持ちなので……。

 

 

まず私の考え方がめっちゃ根暗なんです。

現世は辛いもの。だからこんな世に産み落としては可哀想な気がするので、子供を産みたいとは思えない(いつの時代の奴隷だ?)

もちろん生きてて楽しい瞬間はたくさんあります。生きててよかった〜〜〜!って。でもそれとこれは別なんです。あまり理解されないけど。

 

そして長寿命が幸せだとも思えない。健康寿命だとしても。

まず国の保障が十分じゃないように感じるから。いまの時代ならまだしも、自分たちが老いる頃には年金だけじゃ生活できないかもしれない。働くにしても、老人がいつまでも現場に残っていては若手の余地が減ってしまう。社会にとって、代謝が悪いのは良いことだろうか。

現に活躍している素敵な方々もたくさんいらっしゃいますが。

 

元気で幸せなうちに私は死にたい。国には60歳くらいで安楽死できるような制度を作って欲しい。No.6の黄昏の家に入りたい。人生100年時代がなんだ。

 

 

似た考えの人、いないかなあ。 意識高めに就活をしてみたけれど合わなくて辛い。

南無三。

 

景気循環_消費について

ミルトン・フリードマン恒常所得仮説

消費は今期の可処分所得ではなく、より持続的な部分である恒常所得によって決まる

そのため減税による消費の反応が鈍いことに説明がつく

  • しかし増税前の駆け込み需要と増税後の消費の冷え込みはどうなのだろうか?
  • 2019年10月に見込まれる10%への引き上げを考えるにあたり材料になるか

"ミルトン・フリードマン(英: Milton Friedman、1912年7月31日 - 2006年11月16日)は、アメリカ合衆国の経済学者。古典派経済学とマネタリズム市場原理主義・金融資本主義を主張しケインズ的総需要管理政策を批判した。ケインズ経済学からの転向者。共和党支持者。1976年、ノーベル経済学賞受賞。リバタリアンフリードリヒ・ハイエクを信奉した。" (ミルトン・フリードマンhttps://ja.wikipedia.org/wiki/ミルトン・フリードマン ,2018/05/29閲覧)

 

なおこの減税効果はケインズ型消費関数で予測できなかった→ルーカス批判

  • ケインズ型消費関数は「消費者は今期の可処分所得の一定割合を消費する」という仮定を前提にする
  • これは人の行動を必ずしも表しているとは言えず、定式化した変数間の関係を記述したにすぎない誘導型の関数

恒常所得仮説について検討する

  • 仮定として「消費者は他期間の効用の割引現在価値を最大にするような各期の消費を行なう」
  • これは人々の行動を表している構造型の関数

ルーカス批判(wikipedia, ,2018/05/29閲覧)

"しかし、1976年の論文で、ルーカスは自身のシンプルな見解が「大規模マクロ計量モデル(英語版)の結論を基にした政策提言」の効果を否定するという結論に至った。これは、マクロ計量モデルのパラメータが構造的でないためであり、言い換えれば、マクロ計量モデルにおける政策は不変ではないなら、政策(ゲームのルール)が変わったときは常にパラメータも変化しなくてはいけないはずだということである。このため、これら従来のマクロ計量モデルに基づく政策的結論は潜在的にミスリードである。" 

しかしながら自分はそこまで考えて当月の予算を立てたことがない。お金のやりくりが得意な人は見越して予算を立てているのだろうか……すごい……。言い訳するなら毎月の給料が変動する学生アルバイターだからというところだろう。本当に恒常所得仮説が構造的であるかは疑問だが、きっとこの通りに行動するのが合理的なのだ。ただ経済学を学んでいると、人々が必ずしも合理的に行動するとは限らないから経済モデルは往々にして現実に即していないとも言われる。

政治学でいうなら大衆は愚かだ。増税前駆け込みセールだなんてやれば8%への引き上げ時と同じようなことが起こってもおかしくないかもしれない。

とりあえず後日の授業で消費の決定に関する理論について続きがあるためまた加筆修正したい。

公共経済_ジニ係数

橘木-大竹論争

橘木は「日本の経済格差」(岩波書店,1998)にて格差の高まりを指摘

大竹は「日本の不平等」(日本経済新聞社,2005)にてジニ係数の上昇は高齢者世帯の増加で説明可能と反論

  • 年金で生活する層の増加=当初所得にカウントされない層の増加
  • 用いられたデータは全家計及び勤労家計(家計調査/総務省統計局)
  • なおこの調査には詳細な家計記録が必要とされるため標本にバイアスがかかっている可能性がある

二者のデータを総合すると橘木の算出したジニ係数より大竹の算出したジニ係数の方が小さく、また大竹が勤労家計より算出したジニ係数から所得格差の拡大はほとんど読み取れない(あとでグラフ探すか作るかして挿入したい)

 

ジニ係数で格差を測る場合、そもそも所得が生活水準を表しているかに注意

  • 地域によって家賃や物価の差がある
  • 地域の気候による空調費用
  • well beingの考え方: A grumbling rich man may well be less happy than a contended peasant.(Amartya Sen?)